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誇ろう・つなごう・札幌の自然 札幌市政研究所 2012年夏 Booklet No.11
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21.札幌の自然が生んだ植物学、昆虫学の“知の巨人”

 
 ▲モイワナズナ
  札幌の自然の豊かさを示すバロメーターは何も野鳥の多さに限ったことではありません。植物や昆虫の豊かさも他に誇れる大きな自慢です。
  札幌には植物学、昆虫学それぞれの分野において日本を代表する、世界に知られた“知の巨人”がいました。いずれも明治期に札幌農学校で学んだ宮部金吾、そして松村松年です。植物学の宮部は戦後間もなく札幌市名誉市民第一号となり、また本道で初めて文化勲章を授与されています。一方昆虫学の松村は、日本の昆虫学者として初めて文化功労者となったほか、勲一等に叙せられました。
  万延元年(1862年)江戸で生まれた宮部金吾は、父式臣(しきおみ)と親しかった松浦武四郎の著作を通じて北海道の植物に興味を持ち、1877(M10)年に札幌農学校第二期生として入学しました。松浦は「北海道」の名付け親であり、宮部は入学後、同期の内村鑑三や新渡戸稲造と親交を深め、それは終生変わりませんでした。
  農学校卒業後、宮部は東京帝大に学び、1883(M16)年、農学校の助教授として着任。現在の北大植物園の原形となる附属植物園の設計、造営を担当しました。その後、米国・ハーバード大学に留学し、当時学問的に未知の領域だった千島・樺太の植物を採集分類した「千島植物誌」を発行して世界的に知られるようになります。アメリカから帰国後は札幌農学校の教授となり、植物学の権威として学術・文化の発展に尽くしました。
   
  ▲ヤマハナソウ   ▲モイワシャジン
  農学校の学生時代、宮部は藻岩・円山を研究フィールドに植物を採取し、近代的な植物学を学びました。その藻岩・円山には、地域にちなんだ和名を持つ植物がいくつもあります。発見地の藻岩山にちなんだアブラナ科の多年草、モイワナズナや同じくキキョウ科のモイワシャジン、山野に生える高木オオバボダイジュの一変種、モイワボダイジュ、初めて採集された札幌の山端(山鼻)にちなむユキノシタ科の草、ヤマハナソウなどです。
  今日につながる札幌市の街路樹は留学先のアメリカから帰った宮部金吾が先進国の例をあげて育成の重要性を説き、指導したのが始まりといわれます。一方、藻岩・円山の原始林は1921(T10)年、北海道における天然記念物第一号になりますが、その藻岩・円山が原始林として世界的に有名になるきっかけを作ったのは、アメリカの森林植物学者サージェントです。宮部はこの時、サージェントを現地に案内しています。
  戦後、極度に物資が不足した際、市の燃料対策委員会は藻岩・円山の樹木の一部を伐採して市民に提供しようとの決議をしました。しかし宮部の門下生だった教授たちが、札幌市百年の大計から考え、切り倒すことを思い止まるよう勧告、危機を脱しました。
  宮部金吾は親友、内村鑑三や新渡戸稲造らがこの世を去った後も長寿に恵まれ、1951(S26)年、91歳の生涯を閉じました。その墓は、宮部が農学校時代の青春を燃やした円山原始林の大樹の下にいとなまれています。


22.昆虫に札幌にちなむ名前を多くつけた松村松年

  札幌が近代昆虫学の“発祥の地”であり、その近代昆虫学の祖が松村松年であるということを知る人は少ないと、思われます。
  明治初期、日本は近代化を進めるため諸外国から種々の技術や学問を導入しました。昆虫学もその一つで、1877(M10)年、東京帝大に赴任してきたモースが動物学の一端として教授したのが日本への近代昆虫学の導入の始まりといわれます。一方、1876(M9)年に開校した札幌農学校でもカーターらによって昆虫学が講じられていたといいますが、まだ独立の学問とはなっていませんでした。
  札幌農学校予科三級に入学した松村は1895(M28)年、同校農学科を卒業し、翌96年には同校の助教授となり昆虫学と養蚕学を担当しました。これらの事柄に基づいて日本の昆虫学は、この明治27~28年ごろに初めて独立したというのが学界の定説になっているといいます。
  松村は1897年、弱冠25歳で処女出版本「害蟲駆除全書」を出したのに続き、翌98年には「日本昆蟲学」を出版。日本人として初めて総括的な昆虫学の本となるこの書物は後々“名著”として語られるもので、わが国の近代昆虫学の基礎を築いた古典として評価の高いものでした。
 
 藻岩・円山が札幌農学校の学生時代の、あるいは指導者時代の松村の昆虫採集、研究フィールドであったことは想像に難くありません。
 松村は採集した昆虫に札幌にちなんだ和名を付けて命名し、その数およそ20にのぼります。その中にはモイワハバチ、モイワケンヒメバチ、モイワガガンボなど藻岩山にちなんだ昆虫の名もあります。藻岩・円山以外ではトヨヒラユミズムシ、サッポロトビウンカ、サッポロヒメハマキなどのほか、ジョウザンオナガバチ、ジョウザンチビトリバなど定山渓にちなんだ名前が多く見られます。
 なお、近代昆虫学の発祥の地といわれる札幌では、採集された昆虫の中に数多くの新種や新記録種が含まれ、それらの新しい種類を命名するに当たって、これらの地名に基づいた学名、和名が付けられた昆虫が多いのが大きな特徴です。さっぽろ文庫12「藻岩・円山」によると、その数は32種を数え、その中には松村松年が命名したものにはなかった円山にちなんだマルヤマトガリヒメバチやマルヤマホシアメバチなど4種類もあげられています。国内でこれだけ学名、和名に多用されている地名は「日光」ぐらいであり、藻岩・円山を含めた札幌の自然の豊かさを証明しています。
  松村は1902(M35)年、30歳の若さで教授となり、以後1934(S9)年に退官するまで32年間にわたって北海道大学農学部昆虫学教室の主任教授の任に当たりました。この教室からは、素木得一、石田昌人、岡本半次郎、小熊捍、河野広道ら、わが国の昆虫学史に残る多くの人材が輩出しています。


23.野鳥に負けない魅力をもつ札幌のチョウ、トンボ

  近ごろバードウォッチングを楽しむ人が目立つようになったのに、野鳥と同じように身近で代表的な昆虫であるチョウ(蝶)やトンボ(蜻蛉)を観察するバタフライウォッチングやドラゴンフライウォッチングをしている大人を余り見かけないのは何故なのでしょう。チョウやトンボを追いかけるのは子どもの領分ということなのでしょうか。
  一つは単純に例えばチョウの多くは野鳥と比べれば圧倒的に小さく、目につきにくいこともあるでしょう。さらに大都市になった札幌の都心部ではほとんどチョウは見かけなくなりました。関心が向かないのも無理がない面があります。
  しかし一歩街の外に出て草花や木に止まるチョウやトンボに目を凝らしてください。命短く、はかなく、か弱いそれらの生き物がどのようにして一生を送り、ほかの生き物や自然環境とどのような関係を持っているのかを知ったとき、子どもであっても大人であっても自然を見る目は全く違ってきます。事実、チョウの美しさやトンボの不思議な能力、姿などに惚れ込んで子ども以上に目を輝かせ、写真撮影や採集に血道をあげる“蝶屋”“蜻蛉屋”と呼ばれる人も大勢います。


24.藻岩山でも見られる国蝶のオオムラサキ

 
 ▲「国蝶」オオムラサキ
 
 ▲ジョウザンシジミ
※上下の写真/HP「北海道の蝶」から許諾を得て転載
  わが国の近代昆虫学の祖といわれる松村松年を生んだ札幌は、昆虫観察のフィールドとして十分な魅力を持っています。
  まずはチョウ。研究者によって多少の数字の差はありますが、北海道には110余りの種類のチョウが土着しており、このうち札幌産は約90種。その中にはチョウマニアならずとも一度は是非見てみたいチョウもいます。一つは環境省の昆虫レッドリストで準絶滅危惧種に指定されている「国蝶」オオムラサキ。日本で初めて発見された大型のタテハチョウ科のチョウで、北海道が分布の北限とされています。大きなものは翅(はね)の長さが9cm近くもあり、表面は名前の通り紫色をしています。数は一時期より少なくなったものの、いまでも藻岩山や南区の八剣山などで観察されます。
  本州では立派な高山のチョウで見るのは容易でないチョウも札幌では藻岩山や円山などのほか時として平地でも見られます。その一つがタテハチョウ科のコヒオドシ。およそ4~5cmのチョウです。また、クジャクの羽そっくりの眼の模様があるクジャクチョウ(タテハチョウ科)も本州では平地にいませんが、札幌ではある意味どこでも見られるチョウで、誰もが一度は見ているはずです。
  札幌には定山渓にちなむ名の付いたチョウも二種類います。それはいずれもシジミチョウ科のジョウザンシジミとジョウザンミドリシジミです。このうちジョウザンミドリシジミは松村松年が定山渓で最初に記録したもので、ジョウザンシジミも発見地の定山渓に由来します。大きさはジョウザンシジミが2~2.5cm程度、ジョウザンミドリシジミはそれより少し大きく3.1cm程度です。
  定山渓の名にちなんだ2種類のチョウのうちジョウザンミドリシジミは必ずしも数の少ないチョウではなく、定山渓でなくても市内の多くの場所で見られます。しかしこのチョウを含むグループは、古くは“ゼフィルス”という属にまとめられていました。ゼフィルスとはギリシャ神話の西風の神の意。ジョウザンミドリシジミはミズナラやコナラ、カシワなどを食樹としているため高い所を飛ぶことが多く、きらきらと輝く緑色の翅が“空飛ぶ宝石”のようにも見え、思わず見入ってしまうチョウです。


25.世界でも札幌にしかいないシロオビヒメヒカゲ

  ユーラシア大陸では高い山の上に生息していて普通は見ることができないのに、札幌ではそう高くない山などでも見られる可能性の高いチョウがいます。半透明の翅を持ったウスバシロチョウとヒメウスバシロチョウ。よく見るモンシロチョウなどシロチョウ科の仲間と思われがちですがアゲハチョウ科の仲間で、希少になりつつあるウスバシロチョウはともかくヒメウスバシロチョウは藻岩・円山などでは比較的頻度が高く見られます。大きさはウスバシロチョウが5.5~5.7cm、ヒメウスバシロチョウはそれよりやや小さい大きさです。
 
 ▲シロオビヒメヒカゲ
※写真/HP「北海道の蝶」から許諾を得て転載
  大雪山にのみ生息し、国の天然記念物になっているウスバキチョウを含め、日本にすむウスバシロチョウの仲間は、氷河時代に大陸から渡ってきたと考えられています。いずれにせよ、ヒメウスバシロチョウなどが空を舞うと北国ももう春です。
 札幌のチョウといえば、このチョウの存在を抜きには語れません。それは世界でも札幌だけに、しかも局所的に定山渓付近にしかいないチョウ、シロオビヒメヒカゲです。大きさ3.0~3.4cmの小型のジャノメチョウ科のチョウで、表面はほぼ全面がベージュ色。裏面は同色の地に鉛色に輝く縁どり、柿色のリングの列、オフホワイトの帯と、シックでおしゃれな配色です。
  「世界で唯一、札幌だけに」というのは事実として、実のところシロオビヒメヒカゲは道東にも生息しています。つまり道内には二つの亜種が生息しているということで、その一つが札幌のみにいることになります。しかし近年、日高山脈起源のシロオビヒメヒカゲが分布の範囲を西へと広げ、札幌圏内に侵入した場合は定山渓亜種の純血性が失われるとの危惧が持ち上がっています。チョウに関するブログを立ち上げるなど、道内外のチョウに詳しいチョウマニアによれば、「すでに純血種はいないのでは」といいます。なんとか唯一のチョウとして残ってほしいというのが、チョウに無関心な人も含め市民の願いです。
  子どもの頃、誰もの憧れであったアゲハチョウ。中でも体が黒いアゲハチョウは、採集すると仲間の自慢になりました。札幌にはカラスアゲハ、オナガアゲハ、そしてミヤマカラスアゲハと3種類の黒いアゲハチョウが生息しています。このうち大きさが7.2~10.7cmと最も大きいミヤマカラスアゲハは黒地に金緑色の鱗粉と白線を混え、飛ぶ姿も勇壮で、“チョウの中のチョウ”といった風格です。林道沿いの花や水たまりで見られ、出会えたときの喜びは格別です。



 蝶も蛾(ガ)も生物分類学上は同じ

  チョウもガも生物分類学上は鱗翅(りんし)目に含まれる動物で、特に区別されるものではありません。外国ではチョウとガを区別しなかったり、ガという言葉のない国さえあります。
  チョウとガという言葉の概念は、日本では古くから受け継がれてきたもので、日中に活動する一群をチョウ、日中も活動するものの主に夜間に活動する一群をガと区別したものと考えられています。ちなみにチョウ、ガともに日中活発に活動する種は鮮やかで目立つものが多くなっています。なお、ガが光に集まる理由ははっきりと分かっていません。チョウの中にも光にやってくるものもいます。
  現在日本で記録されているチョウは約250種。これに対しガは約6000種も記録されていて圧倒的にガの方が多くなっています。ところで「チョウとガのどっちが好きか」といってガの方が好きという人がどれだけいるでしょう。ある物を評価するとき、それが役に立つのか立たないのか、害があるのか無いのかという価値基準があり、昆虫では役に立つものを益虫、害のあるものを害虫と呼んでいます。ではガは益虫か害虫か。
  結論的に言えばガの仲間で益虫なのはカイコガ(蚕蛾)ぐらい。幼虫のカイコが作る繭から取れる絹糸は明治以降の日本の工業化の原動力となり、近代化に貢献しました。しかしその他のガは、役に立つか立たないかという価値基準からいうと、ほとんどのガは役に立っていません。それどころか害虫として、さまざまな問題を引き起こすこともあります。
  1987(S62)年には札幌で農業被害や林業被害をもたらすアワヨトウとマイマイガが大発生し、アワヨトウの幼虫が道路にはい出したり、駅待合室のベンチに産みつけられたマイマイガの卵からふ化した毛虫がベンチを占領したり、それらの成虫が夜、営業する店の灯に大量集結したりして市民に大きな不快感を与えました。
  春から秋にかけ、野外でバーベキューを楽しむのは北国に住む者のダイゴ味ですが、いつもうっとうしいのが光に集まるガ。チョウは綺麗だけど「ガは嫌い」という理由の一つになっているかもしれません。


26.“生きている化石”といわれるムカシトンボも

 
 ▲トンボの楽園、トンネウス沼
  トンボは普通、漢字で書くと「蜻蛉」と書き、「あきつ」「あきず」とも読みます。またトンボの古名には「秋津(あきつ)(あきず)」もあり、俳句などの秋の季語になっています。「秋津」または「蜻蛉」に「洲(しま)」か「島」を付ければ「秋津島(あきつしま)」「蜻蛉島(同)」となり日本の古い呼び名となります。日本はトンボの国なのです。
  北海道、そして札幌にもたくさんのトンボがいます。ある研究者の調べでは道内で70数種が記録されており、そのうち50数種が札幌で記録されています。道内に分布するトンボの約70%以上が見られることになります。
  札幌には日本のトンボ界を代表するほど学術的にも貴重な種類のトンボもいます。それはムカシトンボで手稲山などが生息地になっており、渓流地以外は棲まないという一風変わったトンボ。このムカシトンボ、約1億5000万年も前のトンボの化石とほぼ同じ姿をし、このため“生きている化石”といわれます。世界的にも同じ仲間はインドやネパールぐらいにしか生息しないといわれます。
  トンボの種類をくくる際、サナエトンボ科のトンボというものがありますが、札幌にはこの科のトンボとして「モイワサナエ」というトンボがいます。その名の通り藻岩山に由来し、見かけた人も多いかもしれません。また同じサナエトンボ科なのに「コオニヤンマ」とオニヤンマ科のトンボと間違うような名前を付けられたトンボも札幌にいます。トンボ観察の一大地の一つである西岡水源池に多いトンボで、最近は数を減らしており心配されています。
  トンボの中で一番人気といえばオニヤンマ科やヤンマ科の大きなトンボかもしれません。とにかく大きく、オニヤンマは最大8.7cmぐらい、ルリボシヤンマやオオルリボシヤンマも最大8cmほどもあります。このうちオニヤンマは小川や渓流沿いに、またルリボシヤンマなどは沼や池、湿地などに生息し、札幌市内でもこうした条件のところで高い頻度で見られます。
  札幌にはヤンマ科のトンボで北区あいの里のトンネウス沼などごく限られた所でしか出会えないものもいます。マダラヤンマというトンボで、ヤンマの仲間としては大きさが6.0~6.3cmと小型です。マダラヤンマはルリボシヤンマなどと比べて数が極端に少なく、将来に不安の残るトンボの一つです。


27.篠路福移湿原には準絶滅危惧種のカラカネイトトンボ

  札幌のトンボを語るとき、「カラカネイトトンボ」に触れないわけにはいきません。札幌のトンボで環境省レッドリストにおいて唯一、準絶滅危惧種に指定されたイトトンボ科のトンボです。
  カラカネイトトンボは大きさが2.5~2.7cmほどの普通、胸部と腹部の背面が金属緑色をしたイトトンボ科の中でも最小の部類に入るトンボです。そしてこのカラカネイトトンボは、札幌市内でも北区福移の湿地にしかいません。将来が心配されるトンボの一つです。
  カラカネイトトンボの生息に必要なミズゴケやスゲ類が繁る篠路福移湿原は、かつて広大な広さを誇り、1996(H8)年ごろには約20haもあったといいます。しかしこの湿原は原野商法で売られ、廃棄物の不法投棄や悪質な埋め立てによって狭められ、2009(H21)年時点ではわずか5haしか残っていませんでした。カラカネイトトンボなどの生息には深刻な事態です。湿原に咲くノハナショウブ、タチギボウシ、サワギキョウといった貴重な野の花にも危機でした。
  そこで立ち上がったのが「カラカネイトトンボを守る会」です。1997(H9)年から活動を開始し、2004年7月にはNPO法人の認証を受け、カラカネイトトンボを含め篠路福移湿原の動植物の保護活動を行っています。
  カラカネイトトンボを守る会は2006年には(社)日本ナショナル・トラスト協会((財)自然保護助成基金)から助成を受け、湿原の土地684㎡を買い取り、その後も運動を続け、08年12月までに総取得面積は4,835㎡までに広がりました。これはやっと残された湿原全体5haの10%にも達しませんが、カラカネイトトンボをはじめとした自然保護の大きな足がかりになっています。
  篠路福移湿原の貴重な動植物の保護に危機感を覚えた「カラカネイトトンボを守る会」は、湿原の買い取りを進める一方で、湿原に生きる動植物の“引っ越し”も行っています。湿原から約2km離れた茨戸川河川敷付近(当別町ビトエ)に石狩川開発建設部札幌河川事務所の許可を受け、地域住民や他のNPO法人などの協力を得てビオトープ(※)を設置。2002(H14)年にはこのビオトープに「とんぼの学校」と名づけ、毎年草刈りやカワセミの営巣のための土壁の整備などを行っています。
※ビオトープ/本来そこにあったであろう生物社会の生息空間。


28.童謡に歌われるアカトンボの中には絶滅に瀕するものも

  東日本大震災が発生して後、さまざまな場面で口ずさまれている童謡「ふるさと」。数多い童謡の中で、この「ふるさと」と並んで日本人の琴線に触れる童謡の一つに三木露風作詞、山田耕筰作曲の「赤とんぼ」があります。
  トンボ科の中で最大のグループが、このアカトンボの名で親しまれているアカネ属です。札幌市内では10数種類が記録されており、中でも多いのがアキアカネとノシメトンボ。アキアカネはハネ全体が透明で、これに対しノシメトンボはハネの先が黒くなります。俗に言う“クルマトンボ”です。アキアカネの近似種ナツアカネは札幌でも記録されていますが、近年激減し絶滅の危機にあるとされます。
  トンボ科のトンボには、成熟したオスが紅い衣で、顔が白くて舞妓さんのようだからと名前が付いたマイコアカネがいますが、札幌ではカラカネイトトンボと同様に篠路福移湿原でのみ出会うことができます。
  いずれにせよ近年、札幌のトンボが減ったとの声が聞かれます。愛らしい生き物、トンボが空に舞い草木に止まる姿をいつまでも見ていたいものです。 


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